【自己卑下と謙遜の違い、見分け方】
日本には、謙遜の文化がありますよね。
ただ、似て非なるものとして自己卑下があります。
この2つ、どこが異なるのでしょう?
また、どのように見分ければ良いのでしょう?
では、具体的な場面で考えてみますね。
私(佐藤)がジャケットを着ています。
この場面で、あなたが「素敵なジャケットですね♫」と褒めてくれました。
ここで私が
①ありがとうございます。でも、これはスーパーのバーゲンなんですよ。
②すみません。変なジャケット着ていて、こんな僕なんかダメですよね。
この①と②の返事の仕方。
どちらが謙遜で、どちらが自己卑下でしょうか?
答えは、
①謙遜
②自己卑下
となります。
謙遜と自己卑下を見分けるポイント
その1
①ありがとうとお礼を言う。相手への感謝の言葉
②すみません(または、ごめんなさい)と自分を下げる言葉
「ありがとう」と言う場合は謙遜、「すみません」は自己卑下
その2
①ジャケットの価値を下げている
②自分の価値を下げている
謙遜は、あくまでも「商品や行為」を下げます。
自己卑下は文字通り、「自分自身」を下げます。
例えば、何処か訪ねる際、
①「つまらない物ですが」と品物を下げます。
しかし、
②「つまらない者ですが」と自分を下げることはしませんね。
この違いです。
ジャケットの場面に戻ります。
①のように、謙遜の言葉を返した場合は、この後お互い気持ちよく会話が続きます。
②のように、自己卑下の返事をした場合、この後何処かぎこちない会話となります。
褒めた方も、内心(なんか、褒めなきゃ良かったかな?)とも思うことでしょう。
極端な自己卑下の場合、コミュニケーションも難しくなってしまいます。
「すみません」「ごめんなさい」が口ぐせの人の場合、
(私が、これほとんど気を使っているのに、どうしてわかってもらえないのだろう?
どうして、人間関係が上手くいかないのだろう?)このように悩む方も多いです。
これは、気の使い方に問題があると、私は思っています。
A相手を尊重、慮っての気の使い方
B自分が変な人と思われたくないための気の使い方
このAとB。あなたの気の使い方は、どちらでしょう?
これも、A =① B=② のようになります。
つまり、自己卑下しがちな場合、
・自分が変な人と思われたくない。
・自分がダメな人と思われたくない。
このように、自分に意識が向いています。
この結果、相手のことが目に入らない状態となります。
ここまで理解できると、自己卑下の克服法も見えてきます。
ポイントは次の2点です。
①ありがとうと感謝の言葉を口にすること。
②自分から相手や周囲のことをキチン見ること。
では、ここで質問です。
桜のシーズンになりました。
Facebookなどの投稿に、ストレスを抱える方が、
「桜が咲いた♫」と投稿をするでしょうか?
これは、ほとんどありません。「外を見る余裕が無いからだ」という指摘もできます。
ただその一方、「そもそも外を見ないから、余裕を失った」と考えることもできます。
だったら、外を眺めてみてはいかがでしょう。
自分を守るために「自分が変な人と思われたくない」と言う発想。
問題を回避する発想ですね。では、どのようになったらokなのでしょう。
どのような自分ならokなのでしょう。
問題点を避けるのではなく、目指す目的地(ゴール)を口にしてはいかがでしょうか。