Healthcare journal

⾼⽥ 眞智⼦
2025.09.10 Wed
医療法人つくば 高田眼科 理事長 ⾼⽥ 眞智⼦

PROFILE

1990年、横浜市⽴⼤学医学部での研修を経て眼科医としてのキャリアをスタート。 ⼩⽥原市⽴病院、筑波中央病院などで臨床経験を積む傍ら、⾓膜ヘルペスや緑内障の研究にも従事。1996年に眼科専⾨医、2000年に医学博⼠号を取得。 2000年12⽉、茨城県つくば市に「⾼⽥眼科」を開院。 2024年4⽉には「医療法⼈つくば」として法⼈化し、理事⻑に就任。「最先端の眼科医療を、もっと⾝近に」を掲げ、地域医療の発展に貢献している。 その信念は「患者様の瞳に光と希望をもっていただくこと」であり、⾃⾝の経験に基づいた、患者の心に寄り添う医療を追求し続けている。

現在の仕事についた経緯

 ーもともと手を使った細かい作業が好きで、病気で困っている⼈を助けたいという想いが
あり、その両⽅が、医療、特に小外科的な分野に向いていたのだと今では思います。

 そう語る⾼⽥眞智⼦理事⻑が眼科医を志す決定的なきっかけは、研修医時代に当時、日本に入ってきたばかりの超音波乳化吸引による⽩内障⼿術だった。

 ー濁った⽔晶体が取り除かれ、クリアなレンズに置き換わる。そのあまりの美しさに衝撃を受け、この仕事に携わりたいと強く思いました。

 以来、⽩内障⼿術の技術の発展と共に⾃⾝も成⻑。特に、乱視や⽼眼も同時に矯正する多焦点眼内レンズの登場は、彼⼥の医師⼈⽣を⼤きく変えたという。常に最先端の医療機器と技術を取り⼊れ、地域の「⾒える喜び」を追求してきた。その歩みは、開院から25年経った今も、決して⽌まることはない。

仕事へのこだわり

 高田理事長は、3年前に白内障手術を受けた。一般的な平均年齢よりも早い段階での決断であり、「まだ見えている目にメスを入れる」ことには大きな迷いがあったという。しかし、手術後に広がった世界は想像を超えるほど鮮やかで、老眼も改善。視力の回復は単なる数値の問題ではなく、生きる力や前向きな気持ちそのものに直結することを実感し、自らの仕事の責任の大きさを改めて認識した。
 白内障手術は「見えるようになれば終わり」ではなく、その後の患者が人生をどう生きていくかに大きな影響を与える。

 ー⾒え⽅に少しでも不満があるのなら、諦めないでほしい。⼿術⼀つで、⾒える景⾊も、そして⼈⽣そのものも、もっと豊かにデザインできる。

 特に自身の手術後、彼女の医療観は、患者一人ひとりの「どのように見えたいか」「どのように生きたいか」により強く寄り添う姿勢へと大きく変化した。

 「この若さで手術を受けたからこそ感じられた効果を、適切な言葉で医療従事者と患者様双方に伝えていきたい」と彼女は語る。その想いは2024年の法人化という節目へとつながり、より良い労働環境を整え、若い医師たちに自身の哲学や手技を継承して、クリニックを持続可能な形に発展させることを目指している。さらに、今後はクリニックを核に、心身の健康や予防医療に繋げる複合施設をつくり、「健康への気づきの場」を提供したいと考えている。

ーこれは地元・つくばへの恩返しです。

 地域に根ざし、人々の健康を未来へつなげていく彼女の挑戦は、これからも続いていく。

若者へのメッセージ

 私の信念は「瞳に光と希望を」。それは患者さんだけでなく、自分自身にも向けてきた言葉です。「これから何ができるだろう」という希望の光を、自分の目にともし続けてきました。
 皆さんに伝えたいのは、「やりたいことがあるなら、思い続けてやめないこと」です。途中で辞めてしまえば失敗かもしれませんが、続けていれば必ず成功につながります。思うようにいかない時や、つらく苦しい時もあるでしょう。それでも「やり遂げたい」という強い気持ちを持ち続ければ、周りの人や環境、新しい技術が必ず助けになってくれます。
 心から「やりたい」と思えることに出会えたなら、どうか簡単に諦めないでください。その信念を持ち続ける限り、道は必ず開けます。

医療法人つくば 高田眼科
http://www.takada-ganka.co.jp/

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